福岡県筑後市の社会福祉法人 筑後市社会福祉協議会

ほうっておけないが形に

2016年10月14日

2~3日分の食品を手に「本当に助かります」と頭を下げた男性。ランドセルを背負い、初めて笑顔を見せてくれた女の子。

実際に社協が生活困窮の相談を受ける中で出会った方々です。男性の食生活をつないだ食品。女の子が学校に通える手助けをしたランドセル。どちらも寄付の品でした。

社協には毎月匿名で食品の寄付を持ってきていただく方がいます。その方が一言「ほうっておけないから」とおっしゃいました。

今回紹介した奥村さんは、「貧困は自己責任ではなく、社会の問題。だから誰もが『自分に何かできないか』と考えることが必要」と話されました。

貧困の課題に対して、何ができるのかという答えを見つけることは容易ではないのかもしれません。しかし、確かに私たちの身近にある貧困。それに対して「ほうっておけない」と思うことは私たちにもできることなのかもしれません。

そんな「ほうっておけない」が形になり冒頭の二人は支えられたのだと感じます。       (拓)

殺人事件から思う

2016年9月17日

障害とは何か。世界保健機関(WHO)は、「人と社会環境の関係性(相互作用)の中にある」としています。

例えば、自由に外出できないという問題があれば、それはバリアフリー化が進んでいない社会環境が問題なのだ、という考え方です。逆に、バリアフリー化が進んだ社会だと外出しやすく、生活の質は向上するという考え方でもあります。

つまり、その人が暮らす地域社会がどのような環境なのかが問われるのです。
「障害者は不幸だ」という考えがあるとすれば、それは、障害のある人を幸せにできない社会であり、成熟していない地域社会が問題ということになります。

だからこそ「重複障害者が生きていくのは不幸だから」という動機は納得できませんし、筋違い。また、命は本人のものであり、他人が勝手に介入できるはずはありません。

そして、この事件をきっかけに施設のあり方が議論され始めていますが、重度障害者を過度に保護することで、本人の権利を制限させてしまわないかと、そんなことも懸念しています。

社会は個々人の集合体です。社会のあり方が問われるということは…。私を含め、全ての人たちが問われている、ということになるのです。      (善)

「つまづかない」「つまづかせない」環境をつくる

2016年8月17日

「採用試験や、就職後の職場の人間関係でつまづいてしまうのです」

発達障害の方の家族から頻繁に聞かれるこの言葉。

「空気が読めない」「人の気持ちが理解できない」などと言われ、障害のある本人が責められることも少なくありません。しかし、発達障害は脳の機能障害。本人の努力不足や家庭環境ではないのです。

そして冒頭の言葉のような「つまづき」となり、負担を感じながら生活することでひきこもりがちになったり、二次障害として精神障害を引き起こす原因となるようです。

しかし、これは本当に本人の「つまづき」なのでしょうか・・・。できないことや苦手なことにだけ目を向けている環境が結果的に「つまづかせている」のでは・・・。その環境こそが発達障害の人にとっての「障害」になっているのではないかと・・・。

「つまづかない」「つまづかせない」環境をつくるために、その人を理解し、良いところ、得意なところに目を向けようとすることが必要なのかもしれません。       (拓)

悩んでいい―安心して悩める環境を―

2016年7月17日

「結婚し、子どもを産みたいと思うようになった。しかし、私には重度障害の兄がおり、兄と同じく、障害のある子が生まれたらどうしようと悩んでしまう」

「しかし…。そう考える自分は、親や兄に対して失礼な考え方をしているのでは?差別を嫌っていた自分が、一番差別しているのでは?罪悪感があります」

兄に重度障害がある方のお話です。

実は、このような「悩んでしまう悩み」は、障害のある人の兄弟姉妹の会である、「ふくおか・筑後きょうだい会」で、よく話題になります。そして、今のところのきょうだい会の結論は、「悩むのが普通。悩んでいい」というものです。

ある別のきょうだいは、「何で自分ばかり不幸なのかと思っていた。しかし、きょうだい会に来ると、自分しか体験していないと思っていたことを、みんな経験していた。私だけじゃないと思え、悩むのが普通なのだと安心できた」と言います。

悩んでもいい――。そう思えることが、その人の気持ちを楽にし、次のステップに進むきっかけになるのかもしれません。

安心して悩める環境をつくること。大事にしたいものです。          (善)

気がけてもらえているだけで

2016年6月17日

「県外ナンバーを見るだけで、心強くなるのです」

益城町で被災された方の言葉です。

熊本や大分では全国各地からの支援活動が続けられています。直接何かをしてもらわなくても、県外から駆けつけてくれているということが支えになると語られました。

「子どもは、電話がかかってくると嬉しそうにしています」

これは今号で紹介した精神障害のある人の家族の言葉。
こちらも、直接的な支援ではなく「どうしている?」と近況を聞くだけで前向きになれると語られました。

被災地の支援。障害のある人の支援。「自分に何ができるの?」「何もできないのでは?」と感じることもあるかもしれません。

しかし、この二人の言葉を聞くと、目に見えるものだけではなく、心の支えとなる支援も求められいているのではないかと思うのです。

「忘れられていない」「気がけてもらえている」と感じる機会をつくることも私たちにできる大切な支援の一つなのかもしれません。  (拓)

気づきと声をかける勇気。そして受援力

2016年5月17日

「近所の公園に熊本ナンバーの車があり、気になって声をかけた。『昨夜は車内で過ごしたが、高齢の親がいて車中泊は限界』と言われていた」
「社協ならどうにかなるかも…と思い、社協の電話番号を伝えました」

熊本地震の2日後、ある福祉員さんからそんな電話をいただきました。そして、その方から「近所の方に紹介していただいて…」「泊まれるところがあれば…」と連絡がありました。

早速、青年会議所等に協力を要請し、結果的にアパートの空き部屋で急場をしのいでいただくことになりました。

しかし、そのアパートには車は1台しか停められない。この方は一家で来られていて車は2台。
そこで、近所のパチンコ屋に「数日間、車を停めさせてください!」とお願いしたところ、「どうぞお使いください」と。

社協からは寄付でいただいていた布団や物資等を提供させていただきました。

このようにそれぞれの善意や理解がつながることで支援になりました。

それにしても、最初のきっかけとなった福祉員さんの「気づき」と「声をかける勇気」。そして、見知らぬ土地で素直に「助けて」と言える熊本の方の「受援力」。それらがあったからこそスムーズに支援が進みました。     (善)

「助けて」のハードル

2016年4月17日

「私のせいなんです」

社協では昨年度に201件の生活困窮に関する相談を受けました。   非正規雇用、疾病、障害、ひとり親、家族の介護、外国人…様々な要因が絡み合い生じた「困窮」。電気、ガス等のライフラインが止まるまで相談できなかった方も多く、相談の中で冒頭の言葉を頻繁に耳にしました。

しかし、本当に「私のせい」なのでしょうか。
不安定な雇用、条件を満たさなければ受けられない社会保障…困窮は社会制度の狭間で生じます。つまり、自己責任ではなく、社会の仕組みを変えなければ、解決にはつながらないのではないでしょうか。

「私のせいだから」と相談できない(しない)方も多くいます。しかし、生活困窮は個人の責任ではないからこそ、行き詰る前に「助けて」と声を上げていいのだと思います。

誰にでもやりなおすチャンスが保障されるべきであれば、その責任は社会にあるのではないでしょうか。そう考えると、「助けて」のハードルが少し下がる気がしませんか?(拓)

「みんな違ってみんないい」と「みんなと同じがいい」

2016年3月17日

「みんな違ってみんないい」

金子みすゞ作「私と小鳥と鈴と」に出てくる言葉で、有名なフレーズです。
そんな「みんな違ってみんないい」の言葉が大嫌いだという青年がいます。彼には知的障害がある兄がいます。

「在学時、障害者を馬鹿にするような発言がクラスに飛び交っていた。私は兄に障害があることがばれると、私が馬鹿にされると思い、兄の存在を隠そうとばかりしていた。そんな自分が嫌だった。

何で自分だけこんなに不幸なのか。『みんなと同じほうが良い!』と思っていた」と彼。
?みんな違ってみんないい?はずなのですが、肝心なのは、本人がそう思えるかどうか。あなたはあなたのままで良いのだと、悩んでも良いのだと、認められ、理解される経験は大事です。

それにしても、この青年のように、誰にも話せずに、苦悩している子どもや若者が、たくさんいるのでは…。

彼は「きょうだい会で、自分のことを全面的に肯定してもらえた。安心して話せること、それに救われる思いだった」と言います。
「誰になら安心して話せるか」。子どもや若者は、大人たちをじっと見ているのかもしれません。       (善)

「貧しても鈍させない」ために

2016年2月17日

「貧すれば鈍する」ということわざがあります。困窮状態になることで、その人の感性や感覚すら鈍ってしまうという意味です。

今号では、塾に通うこと、進学すること、様々なことを諦める中で、夢や希望を抱けない子どもや若者の貧困の課題を紹介しました。

また、区費が払えず、近所との付き合いを避け、困窮を隠すが故に、地域の中で孤立するという話もあります。

「貧すれば鈍する」という言葉の通り、金銭的な困窮が、周囲との人間関係や、その人の生きる希望をも奪ってしまう現状があるようです。

私たちの住む地域にもある、困窮の課題。その金銭的な困窮を解消することは容易ではありません。しかし、地域に困窮の課題が存在するということを知ること、その課題に悩む人が身近にいるならば、そのつながりを切らないことは私たちにもできるのかもしれません。

冒頭のことわざの通りの現状があるとすれば、「貧しても鈍させない」ための周囲の力が、今求められるのかもしれません。        (拓)

私ならそんな風に支えられたい

2016年1月17日

作家の星新一氏の作品が好きで、よく読みます。先日、久しぶりに購入した氏の本に「ある夜の物語」という話がありました。

サンタクロースに出会う人たちが、何でもプレゼントしてもらえる権利を、「私よりも苦しい人がいる。あの人のところへ行ってあげてほしい」と、次々に譲渡する。結局、誰もプレゼントを受け取らない。しかし、皆「誰かが私のことを思ってくれている」と心温かくなり、そして、その人たちと接するサンタクロースが「私が一番幸せをもらったのかもしれない・・と思う」という内容。

それを読みながら、ひきこもり者支援を行なっている、他市の先輩社協職員の言葉を思い出しました。

「学校に行かなくても、社会と関わらなくても、その人の存在価値は変わらない」「ひきこもりの人に近づいていくというよりも、その人から離れない」。

つまり、その人のあるがままを肯定すること、また、肯定していることを、さりげなく伝えること、そんなことが大事なのかもしれない、と思いました。

私なら、そんな風に支えられたいと思いましたし、また素直に感謝できるようになりたいと思いました。    (善)